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コンシューマーゲームハードの基礎知識を紐解く
ゲーム関連一般知識の第5回目になります。
当初の予定より、大幅に加筆しておりますので
長くなっておりますが、お付き合いお願い致しますw
勢いに乗るソニー。そしてセガの脱落
ファイナルファンタジーというキラーソフトを手に入れた
プレイステーションは、実に息の長いハードとなり
セガ、任天堂を圧倒し一人勝ちを収めることとなります。
セガサターンは、最初の頃は18禁ソフト(X指定ソフトと言います)を出していて
途中から規制がかかったものの、18歳以上推奨ソフトと言った括りのソフトを出して
末期の頃は、ギャルゲーと格ゲー(格闘ゲーム)に特化していくハードになります。
NINTENDO64は、3Dのポリゴン表現に強い特性を活かして
マニアックなソフトを販売していましたが、明らかに今までの
ファミリー向け路線とは形を変えてしまったため、ファン離れが加速しました。
ただし、元々コントローラーを挿せるポートが本体に4つデフォルトでついていた(他2機種は2つのみで、多人数プレイには周辺機器を接続しなければならなかった)ので
パーティーゲームが強いイメージがありました。
ただし、この頃から同じ光学ディスクドライブハードでのマルチ戦略(1つのソフトを複数ハードで出す)が
当たり前になっていき、ゲーム業界はやや進歩を遅めた感があります。
そういう意味で、殆どマルチソフトが無くオリジナルソフトが多かった
64は、後に一部のファンから評価されるハードとなります。
ただ、そんな評価も実際の売り上げには関係ないということで
プレイステーションは大勝を収めることになります。
そんな中、セガはセガサターンに見切りをつけ
1998年11月27日に、3社で先駆けて更に性能を上げた128ビットの次世代機
ドリームキャスト(DC)を発表し、いち早く販売に乗り出します。
プレイステーションを出し抜いて、いち早く次世代ハードを出すことにより
スタートダッシュを図る狙いでしたが、ドリームキャストも戦略上は
結果的に見れば惨敗してしまいます。
ただ、家庭用ゲーム機で先駆けてインターネットによる通信対戦(当時はまだ、電話回線でネットを繋ぐのが一般的でした)や、ドリームパスポートという専用のブラウザが搭載されており
ネットを閲覧するといったことも出来たハードです。
今のゲームハードに当たり前についている機能の先駆けというわけですね。
ドリームキャストが、次世代機として先に投入された後で
ソニーは満を持して、プレイステーション2を市場に投入します。
2000年の3月4日発売でした。
プレイステーション2は、前の世代のプレイステーション人気もあり
最初から、ユーザーへの訴求力があり、更にドリームキャストや
今までの任天堂ハードでは無かった、前世代ソフトとの互換性を
維持することにより、膨大なプレイステーションソフト資産をそのまま使えるというメリットがありました。
結果、定価39800円と、歴代ハード(ドリームキャストは29800円)と比べると
高めの定価設定(さすがに、PCエンジンのCDROM系本体よりはやすかったですがw)でも
飛ぶように売れ、発売時からハード戦争を制するというのは確定的でした。(事実そうなりました)
とはいっても、プレイステーション2はゲームが出来るというのと同時に
DVDなどのメディアソフトが見れるということで、当時普及し始めていた
DVD視聴機能が、プレイステーション2の好調な出足を維持したという話もあります。
事実、その頃DVDでの発売がされたマトリックスが飛ぶように売れたようで
今ではマトリックスがプレイステーション2勝利の立役者という皮肉もあるようです。
プレイステーション2の大成功を尻目に、他2社はこの時期非常に苦しい闘いを強いられ
最終的に、2001年を持ってセガはハード事業を撤退することを表明。
ドリームキャストも生産が中止になり、セガはソフトメーカーとして生きて行くこととなります。
長らく続いたセガのハード戦争への参加は、ドリームキャストで最後となります。
そして、ゲーム業界は任天堂とソニーの一騎打ちかとおもいきや…
どうやら、そうは問屋が卸さないようです。
2014-06-09 17:30
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